当家は戦後の農地解放で農地・資産のほとんどを失いましたが、母屋・蔵・庭・池 等の一部残存している箇所を
春・秋の年2回、各3日間に渡り公開しております。
公開イベントでは近隣の皆様をはじめ、遠方からもご見学にお越し下さる方々も増えてつつあり嬉しい限りです。
今後も楽しんで頂けるよう創意工夫を凝らした企画で、皆様のお越しをお待ちしております。
12代目当主 保阪洋子
新潟県上越市で12代続く豪農の館。春と秋に公開イベントを行っております。
当家は戦後の農地解放で農地・資産のほとんどを失いましたが、母屋・蔵・庭・池 等の一部残存している箇所を
春・秋の年2回、各3日間に渡り公開しております。
公開イベントでは近隣の皆様をはじめ、遠方からもご見学にお越し下さる方々も増えてつつあり嬉しい限りです。
今後も楽しんで頂けるよう創意工夫を凝らした企画で、皆様のお越しをお待ちしております。
12代目当主 保阪洋子
明治41年に母屋を焼失、3年の歳月をかけ家屋を立て直し、さらに7年をかけ庭園が完成しました。
現在は12代目当主の住居となっています。
お座敷からの眺めるお庭の風情は大変評判をいただいております。
保阪家の表玄関だった怡顔亭。いわゆる敷地内の迎賓館の役目を持っていました。
昭和23年頃の農地解放後、十代当主隣三郎が、中江用水事務所に譲り、また昭和57年頃某会社が買い取り復元し、今に至ります。
建物は優美な京間造りになっており、
大きな特徴としては、大門は総ケヤキ、大玄関は唐破風屋根の造り、格天井はヤク杉を、部屋の木材は柾目の細かい杉材を使用しています。
お庭は全国から集めた石が使われており、例えば京の鞍馬、紀州の石を灯篭で使用しております。
江戸時代に米問屋として、昭和20年戦後個人病院として開業し現在に至っておりましたが老朽化をきっかけに病院は別の場所に移られ現在の古い建物は某会社が買い取り米問屋として復元しました。
高田公園で毎年7月に開催される「はす祭」。各地から観光に訪れる人は年々増えています。
実は現在の当主の曽祖父に当たる保阪貞吉が高田藩士の生活のために栽培・販売したものが始まりでした。その功績を讃えた記念碑が今も高田公園の一角に残されております。